惚気は聞きたくないって言ったらダメですか
はあちゅうさんの「旦那観察日記」しかり、「惚気ってハッピーじゃん!」っていう惚気への見直し?が始まっています。
のろけ。
褒め言葉だし、ハッピーな話だし、幸せを撒き散らすのは、いいことなんでしょう!
野菜も幸せな言葉をかけると美味しくなるし、惚気を聞くのも聞いた方にとってはハッピーなことなのでは、っていう。
この字面だけ見ると、とても良いことな気がします。
でも、やっぱり、惚気、聞きたくないんです。
話したい人の気持ちはよくわかります。
私も話したいし、惚気たいときはある。
だから「絶対話してくるなよ」というわけではないんです。
ただ、「惚気は幸せのおすそ分けだよ⭐︎」「聞いてて楽しいでしょ☆」
って言われると「そうでもねえよ。結構我慢して聞いてるよ」と思うのです。
はあちゅうさんの「旦那観察日記」は、最高に面白いです。
私も毎日見ちゃうし、良いコンテンツだなあ〜と思います。
でもそれは、「旦那とこんなに幸せなんですチュチュチュ」いわゆる、惚気の部分が面白いのではなくて、
はあちゅうさんとしみけんさんという、よく知るタレントさんの日常を覗き見している楽しさであるのです。
例えば、可愛いお猿さんが、私(一般人)と、私の彼氏(一般人)だったら、誰も興味は持てないんじゃないかなって思うんです。
AV男優という、極めて特殊な仕事をしている人とお付き合いするってどういう感じなんだろう!他の女とセックスしていることをどう乗り越えているんだろう!的なゲスな好奇心だと思うんだよな。そこに答えてるはあちゅうさんはまじで、人生をコンテンツ化する気なんだな、っていう覚悟を感じる。(し、そうであるべきだと思う)
だから何を言いたいかというと、
惚気話を面白く昇華するのってめちゃめちゃハードル高いと思うんです。
惚気話の何が嫌だって、単純に面白くないことにあると思っていて。
今、どこで笑えばよかったの・・・??ってなる。
とはいえ、私も惚気たいときはあるわけで。そういうときは「大変申し訳ないけど今から5分間時間をください。絶対面白くないけど、惚気たいんです。そのかわり茶を奢らせてくれ」といい、臨む。
どうにかこうにか、私の彼氏がいかに素敵かを面白おかしく伝えようと思うけど、そもそもそんな頭の使い方をしている時点で、この話は面白くならない。
素材も良くなければ、私はしゃべり手としてのセンスもいまいちなので、面白くなるわけがない。
常に、面白い話をすれというわけじゃない(私は話が面白くないことで有名です)けど、面白くもないのに「幸せのおすそ分けだよ」なんてちゃんちゃらオカシイ話なんじゃないですかって思う。せめて、笑わせてくれよ、っていう。
のろけを聞きたい人のモチベーションってなんなんだろう?
いるのか、そんな人・・・??