とはいえ友達とフェミの話をするのはあれである
友達と紅白を見ていた
ら
氷川キヨシがメイクばりばりで出たのを見て「え?どうしちゃったのなに?」となるし
松田聖子さんがひらひらのお洋服を着ているのを見て「おやおや?」となる
私はというと
キヨシが性から解放されて、「自分らしく」と跳んではねているのをみると「私も好きにいきよ~」とめちゃ幸せな気持ちになる。
松田聖子がいつまでも、若い時のお洋服を着てくれることで「いくつになっても、着たい服きていいんだな」と思ってうれしくなる。
という風に思うのも
私が、ひとよりジェンダーやルッキズムに敏感だからなのかもしれない(し、そうじゃないのかもしれない)。
一方で「そう思わないといけない」と思っている節もある。
なんとなく、この考え方は意識高い私のまわりでは「アリ」な考え方だけど
ちょっと離れるとこれも批判の対象になりうるのかもしれない。
だから、何かを言葉にするのがすごく怖い。
その友人とはこういうこともあった。
テラハを見ていると、だいたい副音声(スタジオのなかのにぎやかし)にひっぱられそうになる。っていうか、多くの人がひっぱられてると思う。
それにあわせて「今のはあざといよ」とか「肩紐見えてるよ」とか悪口をいうのが
なんというか、本当にしんどい
じゃあどうやってテラハをみるのが正解なのかはわからんけど
テラハとかバチェラーって悪口をいうための番組なのかなあ
あーん
わからん