行けたら行く

関西人が苦手なのに関西9年目になってしまった人のブログです

とはいえ友達とフェミの話をするのはあれである

友達と紅白を見ていた

氷川キヨシがメイクばりばりで出たのを見て「え?どうしちゃったのなに?」となるし

松田聖子さんがひらひらのお洋服を着ているのを見て「おやおや?」となる

 

私はというと

キヨシが性から解放されて、「自分らしく」と跳んではねているのをみると「私も好きにいきよ~」とめちゃ幸せな気持ちになる。

松田聖子がいつまでも、若い時のお洋服を着てくれることで「いくつになっても、着たい服きていいんだな」と思ってうれしくなる。

 

という風に思うのも

私が、ひとよりジェンダールッキズムに敏感だからなのかもしれない(し、そうじゃないのかもしれない)。

 

一方で「そう思わないといけない」と思っている節もある。

 

なんとなく、この考え方は意識高い私のまわりでは「アリ」な考え方だけど

ちょっと離れるとこれも批判の対象になりうるのかもしれない。

 

だから、何かを言葉にするのがすごく怖い。

 

その友人とはこういうこともあった。

テラハを見ていると、だいたい副音声(スタジオのなかのにぎやかし)にひっぱられそうになる。っていうか、多くの人がひっぱられてると思う。

 

それにあわせて「今のはあざといよ」とか「肩紐見えてるよ」とか悪口をいうのが

なんというか、本当にしんどい

 

じゃあどうやってテラハをみるのが正解なのかはわからんけど

テラハとかバチェラーって悪口をいうための番組なのかなあ

 

あーん

わからん