とはいえ友達とフェミの話をするのはあれである
友達と紅白を見ていた
ら
氷川キヨシがメイクばりばりで出たのを見て「え?どうしちゃったのなに?」となるし
松田聖子さんがひらひらのお洋服を着ているのを見て「おやおや?」となる
私はというと
キヨシが性から解放されて、「自分らしく」と跳んではねているのをみると「私も好きにいきよ~」とめちゃ幸せな気持ちになる。
松田聖子がいつまでも、若い時のお洋服を着てくれることで「いくつになっても、着たい服きていいんだな」と思ってうれしくなる。
という風に思うのも
私が、ひとよりジェンダーやルッキズムに敏感だからなのかもしれない(し、そうじゃないのかもしれない)。
一方で「そう思わないといけない」と思っている節もある。
なんとなく、この考え方は意識高い私のまわりでは「アリ」な考え方だけど
ちょっと離れるとこれも批判の対象になりうるのかもしれない。
だから、何かを言葉にするのがすごく怖い。
その友人とはこういうこともあった。
テラハを見ていると、だいたい副音声(スタジオのなかのにぎやかし)にひっぱられそうになる。っていうか、多くの人がひっぱられてると思う。
それにあわせて「今のはあざといよ」とか「肩紐見えてるよ」とか悪口をいうのが
なんというか、本当にしんどい
じゃあどうやってテラハをみるのが正解なのかはわからんけど
テラハとかバチェラーって悪口をいうための番組なのかなあ
あーん
わからん
なぜフェミニストを名乗りたくないのか
私は母親がごりごりのフェミニストなので、
フェミニストへの悪い印象はなかった。
かつ
フェミニストって「性差別をなくそう!」ということならば
まじで「戦争なくそうぜ!」「世界平和さいこう!」っていうのと同じくらい
全てのひとが願うことだと思う。
少なくとも「賛成する」と口にすることは賛同されるべきことであると思う。
むしろ「性差別なくそうなんて、ありえない!」って反対する方が問題じゃん。戦争しようぜ!世界平和なんてくそくらえっていうのと一緒で。
なのに、なんで
フェミニストってことを言えないのか、なんかわかっちゃった。
今回、私が書いた記事が自称“教養のある”フェミニストたちのお眼鏡にかなわなかったらしく「こんなんでフェミニストなのるな」「フェミニストならこんなこと言わない」あんどそーおん。
フェミニスト同士の「こうあるべき規範」が強すぎる
これだけ勉強してないとだめ!
こんな知識も知らないの?みたいなの。
あれなんなんだろう???
「フェミニスト」を名乗るひとが増えることは
同じフェミニストにとってハッピーなことのはずなのに
「お前のような教養のない人間がフェミニストを名乗るな」ってなっちゃう。
なんで?
たとえ、大量破壊兵器を作っているひとであったとしても、
「まずは兵器作るのやめようか」という話になることはあっても
「戦争なくそうなんて、お前ごときが言うな」って言ったりしないよね?
なんでフェミニストだけこういう問題がおきちゃうの?
そごうの広告は先をいきすぎている
そごうの広告。
まず、私は自分でもびっくりするくらい、ビジュアルが頭に入っていかない=テキストデータ至上主義なので、正直パイ投げの写真とか全然目に入りませんでした。
なぜかクリームパイのスラングだけは、妹のリエちゃんに教えてもらったことがあって知ってたけど。リエちゃんいつもしょーもないこと教えてくれてありがと。
っというわけで、文字だけ読んだ感想です。
最初「お、知らぬ間に、日本社会はここまで進んでいるのか!しゅごい!」と思いました。
“活躍だ、進出だともてはやされるだけの
「女の時代」なら、永久に来なくてもいいと私たちは思う。”
活躍だ進出だともてはやしてくれよ、クオーター制でも何でも導入して、無理やりでも、女性の割合増やしてくれよって私は思っていたから。そういうのいらないところまで来てるんか!すげーな!と。
つまり、私のいる社会がとてつもなく古くて、私以外の社会はもっと先をいってるんか!と思っっていました。
つーのも
私は入社してから10年間ずっとおっさん社会にいるからです。警察も司法も行政も選挙も高校野球も災害も、一通り全部経験したけど、おっさん以外に夜討ち朝駆けしたことない。重要なネタを持ってるのは全部おっさんつーわけです。そして、私を評価して、人事的差配をするのもおっさんなわけです。つまり「おっさんを籠絡すること」が会社員としての私の最重要課題でした。
一方で、私は「苫小牧の平塚雷鳥」と呼ばれるゴリゴリのフェミニストの母親に育てられているので、おっさんに媚びを売ることに少なからず抵抗があるわけです。ふざけんな。いつかぶっころす。と、いつも拳をにぎりしめてました。
“女だから、強要される。
女だから、無視される。
女だから、減点される。”
まじでそう思っていました。
ということを、コラムで書いたりすると
「まだそんな社会あるんか!」「もう平成も終わりますよ?」という読者様からの声や
「いとさんの考えすぎじゃね?わいはそういう経験ないぞ」という社内女性からの声もありました。
だから、私が死ぬほど遅れた社会にいる、かつ、極めて感度良好なんだなと思っていました。
なので、今回の広告も「私が知らない間に世の中は進んでるだな!すばらしき!」ってなったのです。
でも、そうじゃないんだね。
今回炎上しているのをみて思いました。
世の中は、全然かわってない。私のまわりと同じように、まだまだおっさん社会なんだね。それは新聞社だけだと思ってきたけど、よく考えたら
警察も、裁判所も、議員も、役所の重要ポストの部長も、高野連の理事も、災害対策本部もぜーーんぶ重要な仕事は男がやってきてた。
“時代の中心に、男も女もない。
わたしは、私に生まれたことを讃えたい。
来るべきなのは一人ひとりがつくる、
「私の時代」だ。”
そうだよそうだよ。
本当別に「女だから」って特別視する必要はなくて、「女」じゃなくて「人」として対等でありたい。これがゴールだと思う。でも、この提案は一足飛びだったように思う。
だって、どう考えたって数が対等じゃないもん。まずは「女の時代」でもなんでも言って、数増やしてくれよ。男のルールでいう「ゲタ」はかせてくれよ。数が対等になってから、改めてルールを決めようぜ。
2019年にしてみると、時代錯誤のコピーなのかもしれないけど
5年後には「そうそう、活躍だ進出だともてはやして、女を特別視するんじゃなくて、個人を大事にできるといいね」っていうのにストンと落ちる時代になればいいな。
少しずつでも変わるといいな。本当は爆速でかわってほしいけど。だから私は爆速ショートカットで出世する。(といいな)
おしまい。
追悼
書かなきゃいけないことが、たくさんあるんだけど、それにもまして覚えおいて置きたいことがあるので、書く。
友達が亡くなった。
34歳。
おかしいと思います。
神様、おかしいと思います。
亡くなった彼女は、私の友達の中でもベスト5に入る人格者で
話も面白くて、顔もとびっきり可愛くて、繰り返すけど、人格者だった。
私のしょーもない愚痴も聞いてくれて、いつもフラットで、
なんと言うか、私からすると「毎日徳を積んでいる」感じだった。
だからね、神様、この人を死なせる意味が全くわからないよ。
3歳の可愛い息子もいる。
彼女のことを大好きな、働き者の夫もいる。
私にないものを全部持っているので
ずっと「何か一つわけてくれよ!」と思っていた。
でもさ、やっぱり命をとりあげないでよ。
事故だったらしい。
事故、こそ、なんか神様の手中にあるような気がして、神様を許せない。
物事には全て意味があると思ってきた。
だけど、彼女の死をもって、私は意味のないこともあるんだなって思った。
別に私は「亡くなった彼女の無念を果たすために、もっと良い記事書くぞ!」なんて思わないよ。全然ポジティブになんてなれないよ。
返してよ。命を返してよ。
お葬式の前の日に、夢に出てきてくれて、ぎゅーっとハグをしてくれた。
ありがとう。ありがとう。
どう受け止めていいのか全然わからないし、
私の人生の中に、あなたの死なんて全然必要なくって、
一緒に歳を重ねていきたかった。
だけど、頑張ってあなたの死を受け入れます。受けれいたくないし、神様のことは許さないけど。
仲良くしてくれて、いつも優しくしてくれて、ありがとう。
惚気は聞きたくないって言ったらダメですか
はあちゅうさんの「旦那観察日記」しかり、「惚気ってハッピーじゃん!」っていう惚気への見直し?が始まっています。
のろけ。
褒め言葉だし、ハッピーな話だし、幸せを撒き散らすのは、いいことなんでしょう!
野菜も幸せな言葉をかけると美味しくなるし、惚気を聞くのも聞いた方にとってはハッピーなことなのでは、っていう。
この字面だけ見ると、とても良いことな気がします。
でも、やっぱり、惚気、聞きたくないんです。
話したい人の気持ちはよくわかります。
私も話したいし、惚気たいときはある。
だから「絶対話してくるなよ」というわけではないんです。
ただ、「惚気は幸せのおすそ分けだよ⭐︎」「聞いてて楽しいでしょ☆」
って言われると「そうでもねえよ。結構我慢して聞いてるよ」と思うのです。
はあちゅうさんの「旦那観察日記」は、最高に面白いです。
私も毎日見ちゃうし、良いコンテンツだなあ〜と思います。
でもそれは、「旦那とこんなに幸せなんですチュチュチュ」いわゆる、惚気の部分が面白いのではなくて、
はあちゅうさんとしみけんさんという、よく知るタレントさんの日常を覗き見している楽しさであるのです。
例えば、可愛いお猿さんが、私(一般人)と、私の彼氏(一般人)だったら、誰も興味は持てないんじゃないかなって思うんです。
AV男優という、極めて特殊な仕事をしている人とお付き合いするってどういう感じなんだろう!他の女とセックスしていることをどう乗り越えているんだろう!的なゲスな好奇心だと思うんだよな。そこに答えてるはあちゅうさんはまじで、人生をコンテンツ化する気なんだな、っていう覚悟を感じる。(し、そうであるべきだと思う)
だから何を言いたいかというと、
惚気話を面白く昇華するのってめちゃめちゃハードル高いと思うんです。
惚気話の何が嫌だって、単純に面白くないことにあると思っていて。
今、どこで笑えばよかったの・・・??ってなる。
とはいえ、私も惚気たいときはあるわけで。そういうときは「大変申し訳ないけど今から5分間時間をください。絶対面白くないけど、惚気たいんです。そのかわり茶を奢らせてくれ」といい、臨む。
どうにかこうにか、私の彼氏がいかに素敵かを面白おかしく伝えようと思うけど、そもそもそんな頭の使い方をしている時点で、この話は面白くならない。
素材も良くなければ、私はしゃべり手としてのセンスもいまいちなので、面白くなるわけがない。
常に、面白い話をすれというわけじゃない(私は話が面白くないことで有名です)けど、面白くもないのに「幸せのおすそ分けだよ」なんてちゃんちゃらオカシイ話なんじゃないですかって思う。せめて、笑わせてくれよ、っていう。
のろけを聞きたい人のモチベーションってなんなんだろう?
いるのか、そんな人・・・??
「心から感謝」しない
最近、なんやかんや週に4冊くらいは本を読んでいる…??(課題図書、取材の準備のため)
ほとんど自分が興味あるやつしか読んでいないから、ありがたい限りなんですが。
特にこの本が良かった!っていうか、今の私に響いたのがこれ
フェミニスト・ファイト・クラブ 「職場の女性差別」サバイバルマニュアル
- 作者: ジェシカ・ベネット,Jessica Bennett,岩田佳代子
- 出版社/メーカー: 海と月社
- 発売日: 2018/08/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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フェミニストだと!!って思う人ほど読んでみてほしい。
ギャグ漫画ばりに笑えるので。笑
で、この中の
自分で自分をだめにする女の一例であがった「功績辞退者」というのが、本当に本当に
私これーってなった。
私が自分に自信が持てない(とはいえ、その辺の女性の中では相当な自信家だと思うけど)理由のひとつに、「私がやりました(えっへん!)」ってやることへの抵抗感がある。
なんか、一人で全部やったことでも
「いえいえ、これは○○さんのおかげです」とか言っちゃう。
で、結局「あれおれ詐欺」(あれは俺がやりました)の被害にあう。
もう、何度も何度も手柄をとられてきた。(気がする)
でも「いや、それは私がやったんです!」っていうのがいけていない気がして、
先輩の「私たちがやりました」を甘んじて受け入れてきた。(私…たち??あんた何かした?)
でも、この本では
上司「あのプレゼン良かったよ」
あなた「ありがとうございます!でも実はハロルドのおかげなんです」
同僚「昇進おめでとう」
あなた「ありがとうございます!運が良かっただけだよ」
を推奨していて、「!!!!」となった。できねーけどな!!
私はなぜこうも功績を辞退してしまうのかを考えてみた。
めっっちゃ思い当たる節があった。
高校生の時の話なんですけど(もう15年近く前なんですね)
私は弁論部っていう部活に入っていました。
弁論って、演台の上で7分間スピーチする競技?です。
つまり、個人競技のはずなんだけど、なぜかうちの部活は「団体競技」と言って、わざわざ弁士ひとりにマネジャーつけて、部員全員で弁士のだめ出しをする。
で、私はなんか学校での練習が苦手で、いつも失敗していて
そのたびに「あいつは全然練習していない!!練習不足」って怒られていた。
もうほんとにめちゃくちゃ怒られるわけですよ。
みんな弁がたつからこわいこわい
あいつやる気あるんか。私たちの部を代表して、全国大会に行くのに!!的な。
本番の前日には、わざわざ先輩からお手紙もらいました。
今でもその内容は覚えてる。
「本当に頑張った?頑張ったって胸を張って言える?
頑張ったかどうかは、あなたが判断することじゃなくて、まわりが判断することだから。
また本番に強いあなたは、入賞するかもしれないけど、それはあなたの実力じゃないから。私たちはそんなの認めない」
うんぬん。
さすがに「前日に読んで」と渡された手紙だったから、「まあ色々あったけどがんばってね」とか書いてあると思っていたからびっくらこいた。
だから、圧倒的忘却力を持つ私でさえいまだに覚えている。のかもしれない。
で、結果的に私はこの大会で優勝してしまうわけです。
一緒にでていた優勝候補の先輩は2位でした。
いや、もう。
やっちまったーって思った。
誰も、私の優勝は望んでいないってわかっていたから。
もちろん、表彰式のあとは誰も何もいえず。
翌日、部に戻るのが死ぬほどこわかった。でたくなかった。
誰一人として「おめでとう」って言ってくれないのはわかっていたから。
優勝候補の先輩を、練習不足の私が打ち負かすっていうのは
もう、「清く正しい弁論部」的にはあってはならないことなわけです。
だから、部員ひとりずつのスピーチで
「あなたは優勝したかもしれないけど、私は認めないうんぬん」とか
「先輩の頑張りにあなたも見習ってくださいうんぬん」とか。
めっちゃディスられた。
そこで私も
「優勝できたのはみんなのおかげです。
練習不足なのにうっかり優勝しちゃってすみません。
先輩のスピーチはまじでよかったです」
みたいなことを言ったと思う。
その後、先輩からの陰湿ないじめにあうわけだけど(このへんはもう忘れた)
でもどっかで「練習不足の私が悪いのさ」って思ってました。
が、こないだお母さんに言われて、驚いたんだけど
「あんた大会前、ずいぶんナーバスになって練習してたよ」とのこと。
はーーーー。
まじでーーーーー。
まじでーーーーーー!!!私練習してたんかーい!!ってなった。(記憶消えてた)
なんつか、
あまりにまわりに「お前は練習していない!」って言われるからその文脈に沿った
演技(できないふり)をして、成果がでたら「みなさんのおかげです」って言ってしまう癖はここから来てるんだな
っとあるときふと思った
もう、できないふりをするのも、みなさんのおかがですって過度にへりくだるのもやめたいな~~。
やっぱり学生時代のトラウマって今でも残ってるものなんだなっとふと思いました。
良いインタビューとは何だろう
こないだあるインフルエンサーの取材をした
自分的には
聞いたことないことが聞けたし
聞きたい質問も聞けたし
まあまあの取れ高なんじゃね?と思って終えた
つまり取材は成功!っていうこと
で、実際記事もまあまあ読まれて。
それを読んだ友達(文章の趣味があう人)から
「彼女(インタビュイー)のことを好きになる記事でした」と言われて。
正直、む?ってなった。
私はなんだかんだ社会部系(ジャーナリスト)だったので
「聞かれたくないことを聞いてこそ!」真実に迫れる的な妄想があるので
この「彼女のことが好きになる記事」ってつまり
彼女の言いたいことをそのまま書いただけの記事なのでは?
ツッコミきれなかった?質問がぬるい?
つまりダメなインタビューだったのか????となった。
私は今、悲しいかなPV至上主義の戦いを強いられているので
なぜインフルエンサーを取材しているのかっていうと
インフルエンサーにシェアしてもらいたいから。「良い記事だから読んでけろ」っていう拡散を期待している。
だから、すみません。
前編は結構、おきにいった自覚はある。カウント取りに行きました。
もし全部削除されたら嫌だったから。
これを取材相手に媚びるっていうならそうなのかもしれないけど
私は別に取材相手を嫌いになってもらいたくて記事を書くわけじゃないし
できるなら「この考え方もいいね!」とか「ほぅんこんな考え方もあるんだね」と知ってもらえればいいなっていう思いで書いている。
結果、取材相手に寄り添うことになるよね。でもそれでいいとも思ってます。
一方で後編では結構突っ込めたと、
「私にしか聞けないこと」を聞けたとは思っていて。
でも、後編はインフルエンサー的にはあまりシェアしたいっていう内容ではなくなってしまったりしていて。
はてさて。
何が正解なんだろう。
良いインタビューって何だろう。