行けたら行く

関西人が苦手なのに関西9年目になってしまった人のブログです

地元が嫌いです

私は地元が嫌いである。地元は、北海道の人口17万人の工業都市である。

地元にあまり良い思い出がない。わかりやすく、いじめられていたことや、嫌いな人も特にいないのだが。ただ、地元に住んでいた18年間は、ずっと息苦しさを感じていた。

 

その理由が何かわかったのは、昨年、地元で開かれた三十路式に出たときのことだ。三十路式とは、成人式の三十路バージョンのようなもので、晴れ着こそ着ないものの、そのために帰省した人たちも含め約200人ほどが集まった。式の中で市長が挨拶をし、道知事や安倍昭恵さんがビデオメッセージを寄せた。公的な式だ。

 

地元産の料理やお酒が振る舞われ、小中学校の友人たちと思い出話で盛り上がった。終始なごやかな雰囲気で進んでいるなかで、(私的)事件が起きた。

 

突然、ミスコンが開かれたのである。入場券に配られた番号の中からランダムに5人が選ばれ、登壇させられた。そこで、司会者からマイクを向けられ名前、出身中学校、彼氏・旦那さんの有無を聞かれ、答える。自己紹介はたったそれだけ。それだけで、さっそくミスコンスタート。拍手の大きい人がミスに選ばれるという。

 

控えめに言っても、私は腹が立った。

壇上で話してくれた名前、出身中学、パートナーの有無なんぞ、5人話し終えた時点で完全に忘れている。むしろ、その経歴を覚えたとて、それでどんな優劣をつけろと。なぜ200人を前に、パートナーの有無のような個人的な事情を話すことを強制されなければならないのか。結局、顔、服装でしか判断しようがない。

 

ただのセクハラである。

 

せめて、「きょうは子どもにお弁当三つ作ってから、今回の会に参加しました」「仕事で1億円のプロジェクトを成功させました」とか自由に話してくれる機会があれば、それで判断できるが、たったこれだけで何を判断できるか。

 

だからと言って拍手しないのも、登壇した女性たちに失礼だと思って、全員に拍手した。すると、司会者から「そこの人!全員に拍手しない!ちゃんと選んで!」と怒られた。

周りの小中学校の友達に「これ、顔の善し悪し以外で何を判断するの?セクハラじゃない?」と問うと、「ここはあなたのいるような都会じゃないから、そんな難しいことわかんないよ~。実行委員が一生懸命考えたんだから、水をさすのやめようよ」。

 

あーこれだ。私が嫌いなのはこの空気。簡単にいうと同調圧力

私は18歳で家を出ているので、この実行委員が誰か全く知らないし、今後また顔を合わせることも多分、ない。だけど地元の人たちにとっては、顔見知りで、これからも隣人として暮らしていかなければならない。だから、おかしいと思ってもノーとは言えないのかもしれない。

 

もっと言えば、このミスコンが誰かを傷つけるということに考えも及んでいない。ただ「楽しむためのゲーム」、ビンゴと変わらないのである。その人権意識の低さに、くらくらする。

 

 

 

私は、母親が「町内の平塚雷鳥」と呼ばれるくらい「フェミニスト」な家庭で育った。だから、女性が男性に遠慮する必要はない。対等に行けと、教わってきた。

 

一方で、その考え方は私の学校では通用しなかった。

誰よりも結果を出している陸上部のあこがれの女の先輩は、キャプテンにはなれなかたったし、いつも長をつとめるのは男子だった。

男子が上に立つ方が、まわりとぶつからなくて済む、と思う一方で、「なんとなくおかしいな」をずっと心にしまっているのが苦しかった。

 

もっと学年にたくさんの人数がいれば、たとえ少数派であったとしても、1人じゃなかったかもしれない。母数が少ない分、どうしたって少数派はもっと少なくなる。

 

たまに想像しておそろしくなるのだが、この小さな町で、もし自分が特異な趣味嗜好を持っていたらどうなっていたんだろう。自分の仲間を見つけることができただろうか。たった一人でも、好きなものは好きと、おかしいことはおかしいと言えただろうか。

 

この町で、私がいじめられた記憶がないのも「あいつ変」と思われることが怖くて、息を止めていたからに他ならない。私じゃない私が、地元にはいる。

 

あの三十路式のミスコンでおかしいと意見するか、思考停止するか。どちらかじゃないと、あの町で生きていくのは苦しい。ただ「おかしい」と言ったあとの、村八分の社会で生きていける自信はまったくない。だから、私は都会に戻ります。